ジャズ批評 2007 9月号 No.139

<JAZZ FROM THE WEST #13>

徳永延生 インタビュー

関西のジャズシーンにかかわる方々にお話を伺いつつ
”ウエスト・ジャズ”の魅力をお伝えするこの連載。
今回は世界的にも少ないジャズ・クロマチックハーモニカの
プレーヤー、徳永延生さんにお話を伺います。関西の
ジャズシーンには欠かせない存在となった徳永さんは
今夏も各地に登場して、ハーモニカ・ジャズの魅力を
伝えてくれましたが、まずは、”クロマチックハーモニカって何?”
というところから伺いました。

#ジャズ・ハーモニカという楽器

ー   徳永さんはクロマチック・ハーモニカのプレーヤーということですが、
    これは普通のハーモニカとはどういう違いがあるのですか?

徳永 クロマチック・ハーモニカというのがジャズでは一番良く使うものですが、
    これが一本でどんなキーでも演奏できる、半音階を自由に出せるものなんです。
    ジャズハープと呼んだりする人もいますが、僕はクロマチック・ハーモニカと 
    必ず呼んでいます。
    分類で分けるとクロマチックハーモニカと複音ハーモニカ、ブルースハープと
    三種類ですね。いわゆる普通のハーモニカと言われる学校で使っているものは
    教育用ハーモニカと呼んだりするのですが、これはまたこれら三種類とも
    微妙に違うものなんです。

ー   徳永さんがハーモニカを吹かれるきっかけはどんなところからでしたか?

徳永 元々僕の親父が吹いていたので、僕も三才か四才ぐらいのときからやっていて、
    関西のコンテストなどにもたくさん出て賞をもらったりしていたんです。

ー   ジャズでハーモニカというとプレーヤーの方は少ないと思いますが
    やっぱり合わないものなんでしょうか?

徳永 そんなことはないと思いますが、確かに演奏として吹くだけでなく吸うことも
    同じようにしなければいけないということがなかなか難しいかも知れませんね。
    逆に有利なところはやっぱり”泣ける”というところでしょうね。口に一番近い
    ところで全てを演奏する楽器ですから、口で言いたいことが伝わりやすいと
    思うんです。音に微妙な音程の変化をつけたり息モレをさせることですごく
    セクシーな響きを作ることができますね。

#目指す音楽は”プリティ・サウンド”

ー   どうしてもトゥーツ・シールマンスが代名詞のように思ってしまいますが、
    徳永さんの中で影響は大きいですか?

徳永 シールマンスはもちろん尊敬するプレーヤーですし、一時は彼に近づけるように
    コピーもしてみたんですけど、あの人の考えていることは普通じゃないですね。(笑)
    シールマンスはハーモニーの積み方にしても、リズムのノリにしても、自由に
    吹かれていて超越されているので、あるときから自分のやりたい演奏と比較して、
    マネをする必要自体がないんじゃないかと気付かせてくれましたね。

ー   徳永さんがやりたい演奏というのはどういうものですか?

徳永 僕はきちっとしたサウンドや、ジャズの中でもプリティ・サウンドが好きで、
    自由すぎる演奏はあまり好きではないんです。
    できないというのもあるんですが(笑)。ある程度枠を決めて、その中で自分の音や
    奏法を追求するということも大事であると思いますね。

ー   プリティ・サウンドにおいて徳永さんが好きなプレーヤーはどんな方が
    いらっしゃいますか?

徳永 スコット・ハミルトンとかポール・デスモンド、日本のプレーヤーではギターの
    沢田駿吾さん、ピアノの今田勝さんの音の選び方や音遣いから多くのことを
    学びました。
    ハーモニカのプレーヤーではマイク・タークやウイリアム・ギャルソン、ヘンドリック・
    ミューケンス、あとブルースハープですがハワード・リビー。この人は一本の
    ブルースハープで全てのキーを演奏する人です。

ー   教室を開かれて後進の指導にも当たられていますが、ジャズを目指す生徒さんは
    多いですか?

徳永 少ないですねー(笑)。ジャズをやりたい方もいるのですが、自分でオリジナルな
    演奏にまで到達する人はなかなかいませんね。けど最近はいいプレーヤーに
    なるであろうという人も出てきましたよ。九州で活動する矢次保子はクラシックの
    出身ですがジャズに転向してからは海外でも活躍していますし、関西の辻晋也も
    がんばっています。

#デビューはムード歌謡!

ー   徳永さんがプロのプレーヤーを目指すようになったきっかけは?

徳永 学校を出ていきなりではなく、高校を出て三年間はサラリーマンをやっていたんです。
    けど仕事が面白くなくて、当時仲間と組んでいたバンドで・・・

ー   それがジャズのはじまりですね。

徳永 いえいえ、ジャズじゃなくて、歌謡コーラスバンドなんです。昔でいうと内山田洋と
    クールファイブとか、マヒナスターズとかのような。そういうのが好きでバンドを
    組んでいたんですけど、これで食えたら最高じゃないかということを仲間が言い出して
    それで仕事を止めて当時流行っていたキャバレーやアルサロといったお店に
    出るようになったんです。

ー   歌謡コーラスバンドでコーラスとハーモニカを吹かれていたんですか?

徳永 そのつもりだったんですけど、仲間からハーモニカだけではサマにならないと
    言われて仕方なくテナーサックスやフルートもやってました。
    「徳永延生とファイブナイツ」という名前をつけて、デビューは玉造の「赤いバラ」という
    お店でしたね。
    そのころは歌謡コーラスの全盛期で仕事はいくらでもありました。お店もたくさん
    ありましたし。それを20数年、45才までやってました。
    でもね、やっているうちに先が見えてきたんですよ。風営法とかの規制が
    厳しくなって、店もなくなってきて、いつまでもできるもんじゃないなって。かといって
    それ以外に食えるものもないしと惰性でやってきたんです。

ー   そうするとジャズをやり出したきっかけはこのころなんですね。

徳永 そんなふうに悩んでいたところに、高見延彦(ts)さんが私の家までやってきて
    くれたんです。以前に大阪の宗右衛門町というところにあった「ダイヤモンドクラブ」
    というお店で共演することがあっていろいろとお話はしていたのですが、彼が私に
    「ジャズをやりなさい、いい才能をもっているし、ハーモニカという日本では他に
    やる人が少ない楽器という武器もある。先駆者になれますよ。」といってくれたん
    です。
    それで彼が自分のブッキングする心斎橋にあった「スコット」というお店に私を出演
    させてくれたんです。「そうしたら目標ができるし、きっと練習するだろうから」と言って
    そのときは、高見さんのバンドに飛び入りするぐらいでアドリブも満足にできないし、
    円形脱毛症になるくらいプレッシャーだったんですが、そこから私のジャズが
    始まったんです。

ー   では高見さんがいなければジャズをやってなかったかもしれませんね。

徳永 そうですね。あるときキャバレーの空き時間にサックスで「セント・トーマス」を
    練習していたら高見さんがやってきて、「私は一生懸命やる人が大好きなんです。
    そんなマウスピースではダメですからこれをあげます。」といって何万円もする
    マウスピースを頂いたり、出会いの大切さを感じました。高見さんは今は扇町にある
    「ミュージックバーT・Sax」という店のマスターをしていますが、
    大尊敬する先輩です。

#自分の音をつくり出す信念が大事

ー   CDも定期的に出されていますが、ここでは「ジェルソミーナ」を御紹介いただけ
    ますか?

徳永 「ジェルソミーナ」はジャズや映画音楽などいろいろなジャンルの曲が入っています。
    私はジャズというのはカテゴリーではなく料理の仕方ではないかと思っています。
    ですからたとえばライヴハウスで歌謡曲や演歌のタイトルを言うとあからさまに
    イヤな顔をする人もいるんですが(笑)、それらの曲も一つの題材として
    インプロビゼイションを加えて広げていけば素晴らしいジャズになると思うんです。
    このアルバムでも、そこまではいきませんが、「禁じられて遊び」や「鉄道員」、
    「ひまわり」など、普段あまりジャズとしては演奏しないような曲も多く入っています。
    しかし料理の仕方はジャズなのです。
    メンバーは有線放送のレコーディングで知り合ったメンバーと一緒にやっていますので
    ジャズファンにもそうでない方にも気軽に、楽しく聴いてもらえたらと思います。
    CDは今まで5枚出ていますが、次のアルバムはジャズの曲を中心にしたいと
    思っています。

ー   ありがとうございました。最後に恒例の質問です。徳永さんは何があったから今まで
    ジャズを続けてこれたと思われますか?

徳永 プレイだけでやっていくのは至難の技ですよね。どんなことでもいいからトータルで
    食べていくという信念を持ってやっていくということは大事なのではないでしょうか。
    それに加えて言うと僕は”徳永サウンド”というものができたらいいなと常に
    思っていて、どんなところから音が聞こえても人が聞けば僕の音だと分かるように
    なりたいと思っています。

90年代くりまではジャズプレーヤーにとってキャバレーやアルサロといった
場所は重要な演奏場所という時代がありました。
あまりクローズアップされることのないそんな時代を経てジャズを演奏する
徳永さんの証言は貴重なものとなりました。
優しい表情に信念を感じる言葉。
ハーモニカの音にもそれが表れています。

聞き手<太田”AHAHA”雅文>